2004年09月30日

着信履歴

社内恋愛だった彼からの最後の電話を、私は取ることが出来ませんでした。

休日に私を迎えに来る途中、カーブを曲がりきれずにガードレールと電柱にぶつかり、ほとんど即死だったそうです。
彼は携帯を手に持っており、運転しながら私に電話をかけていたようです。
私の携帯には最後の着信履歴が残っていました。
悲しいのと申し訳ない気持ちとでいっぱいでしたが、彼のご両親は私を気づかってくれました。
人を巻き込まなかったのがせめてもだったと。

私たちの関係は社内でも知られていたので、いろんな人が心配してくれました。
辛くて仕事を辞めようとも思いましたが、じっとしているのが怖くて結局続けました。
彼の着信履歴を消したくなくて、携帯は解約して別のを持つようにしました。
以前の携帯はお守りとして持ち歩いてました。

それから泣きながらもどうにか一年ほど経ったときのことです。

職場の先輩が仕事帰りに車で家まで送ってくれました。
彼の事故の後から、何度も私の話し相手になって相談に乗ってくれた先輩です。
帰りが遅くなったときに送ってくれたことも何度かありました。

その夜、先輩はいつもと違う道を通りました。
そしてある場所で車を止めました。
一年前に彼が亡くなったそのカーブです。

先輩は話し始めました。
もう一年も経つんだからそろそろ彼を忘れた方がいいとか、前から私を好きだったとか、そんな話だったと思います。
けれどもこんな場所でそんなことを言う先輩に対して、無神経さと裏切られた感じとでかっとなってよく覚えていません。
ただ私は、先輩とそんな気持ちにはなれないことを告げました。

そのあと先輩はずっと黙って運転していました。
家に着いて私が降りようとしたとき、急に手を握ってきました。
手を引っ張られて身の危険を感じたその瞬間、私の携帯電話が鳴り始めました。
一瞬間が空いて、私は手を振り払って車を出ました。
先輩はそのまま黙って走り去りました。

家に着いてからもしばらく動転していましたが、お風呂に入って少し落ち着きました。
それから着信があったことを思い出して携帯を確認しました。
しかし、着信履歴がありません。
着信メロディを思い出し、慌てて古い携帯を確認すると、彼からの着信がありました
慌ててかけ直そうとしても、解約済みの携帯は発信できませんでした。

翌朝出勤すると、先輩が昨夜交通事故を起こしたと知らされました。
怪我は大したこと無いそうですが、それが彼が事故にあったあの場所だというので社内ではちょっとした騒ぎになっていました。
私の家から先輩の家に帰るまで、その場所は通りません。
なんでそこを通ったのか誰も分かりません。

命に別状はなかったのですが、先輩は頭に障害を負い、会話も出来ない状態でずっと入院する事になったそうです。
事故現場で救助された先輩は、携帯電話が砕けるほど強く握りしめていたそうです。
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2004年09月23日

目眩

霊感があるとかないとか、それがどういうことなのかよくわかりません。
長い間、自分に霊感があるとは思いませんでした。
だから「ここには霊がいる」とか言う人の話を聞いてもピンと来ませんでした。

高校生の頃、祖母が亡くなりました。
そのお通夜やお葬式の席で、不思議な感覚を覚えました。
立ってても座ってても、ずっと立ちくらみのような、軽いめまいのようなものを感じたのです。

おかしいなと思って手足を動かして意識をはっきり覚醒させてみても、またすぐにめまいを感じるのです。
熱を出したときのめまいのように、不快な感じではありませんでした。

そしてその感覚は、お骨をお墓に納めたあとでいつの間にか消えていました。
でも命日のお墓参りに行くと、必ずあのめまいの感覚を体験しました。
これが霊感というものなのでしょうか。

墓地に行くと感じることが多いので、もしかしたらただの自己暗示かも知れません。
ただ、ときどき全く違う場所で感じることがあります。

ある日曜日に道を歩いているとき、強烈なあの感覚に襲われてしゃがみ込んでしまったことがあります。
目の前の路上には真新しい花束と小さな車のおもちゃが置いてありました。
次の日曜にそこを通ったときも同じめまいに襲われました。
2ヶ月くらいあとでそこを通ったときは、何事もありませんでした。

初めてあの感覚を覚えてから数年経ちました。
程度の差はありますが、めまいの感覚に襲われるのはよくあります。
場所ではなく、特定の人のそばで感じることもあります。

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2004年09月15日

遠足には参加していた

小学校6年のとき、下級生と一緒に行く遠足がありました。
付近の海浜公園まで徒歩で行くだけですが、6年生が1年生の手を取って道中を歩くイベントでした。

わたしの6年2組は1年2組と一緒に歩くことになっていました。
ちょうど人数が一緒だったので都合が良かったらしいです。

ペアを組むことになったのはたかし君という男の子でした。
当時は思春期の始まりだったので男の子と手をつなぐことは気恥ずかしかったけれど、お姉さんぶりを発揮しなくてはと張り切っていた覚えがあります。

たかし君はちょっと緊張気味なのか、口数が少なくてわたしだけ一生懸命話しかけていました。
公園に着いてからもたかし君が気になってみてましたが、1年生の友達とは仲良くやっていました。
わたしも同級の友達と海辺で遊び、あっというまに帰る時間になりました。

来るときと同じペアになって列を作る段取りでしたが、たかし君がいません。
探し回ってると、先生に呼ばれました。
「相手の子がいないんでしょ?たかし君だよね?」
そして気にせずそのまま学校まで帰るように言われました。
先生がそういうのだから、わたしはたかし君のことは忘れて他のペアと3人で手をつないで帰りました。

次の日、朝学校へ行ったら臨時の朝礼が行われました。
校長先生が話したのは、たかし君が交通事故で昨日の朝亡くなったということでした。
そして、命の大切さとか車に気をつけようとか言う話をされていました。

校長先生が言ってた話は間違えてるよね。
たかし君は遠足に来てたもんね。
朝礼のあと、先生に言いました。

「いいから、そのことは忘れなさい」
先生の答えは当時は納得できず不満でした。
だけど先生はそう言うより仕方なかったんだなと、今となっては思えます。
posted by 黒鳥 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 011〜020 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月10日

窓から伸びる手

ある日曜の夕方に、怒りを覚える光景を見た。
近所のマンションの3階にある窓が開き、そこから何かが投げ捨てられたのだ。
その茶色い物体は、食べかけの菓子パンに見えた。
窓から投げ捨てたその手は細く小さく、小学生くらいのようだった。

その部屋は角部屋で、壁に窓がついている。
下はマンションの中庭になっていて、外からは見えない。
が、きっとゴミが散乱しているのではないか。
きっと日頃からそんな行為を行っているような気がした。

こんな子を野放しにしては行けない。
親に言って注意してもらおう。
こういうことは迷ってはいけない。

オートロックではないので、3階まで上ってチャイムを鳴らす。
母親らしき女性に今見たことを話した。

「そんなことあるわけないでしょう」
いきなり母親はこちらの言うことを否定して来た。
こちらもむっとして言い返した。
「前にも見たんです。今日で二回目ですよ」
「悪い冗談はやめて下さい。いいかげんにしないと警察を呼びますよ」

たった一言二言話しただけでこんなことを言われる覚えはなかった。
怒り心頭のまま玄関を蹴飛ばして引き上げた。

その次の火曜、朝のワイドショー番組にあの母親が出てきた。
息子を虐待し、昨夜自首して逮捕されたというのだ。
布団も何もない自室にほぼ監禁状態で放置し、食事も満足に与えていなかったらしい。
そして栄養失調で死なせたというのだ。

あれは食べ物を粗末にしてる子供ではなかった。
外に人が歩いてるのを見て、注意を引くためにそんなことをしてたのかも知れない。
その子にとって非常に大切な食料を使って。
家具も何もない排泄物も垂れ流しの部屋では、たまに与えられる食事しか投げる物がなかったんだろう。

あのとき、もっと強く出て家の中を確認していたら、この子は助かったのではないか。
そんな後悔に襲われているとき、レポーターがさらに話を続けていた。

○○ちゃんは死後2週間経過しており・・・
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2004年09月05日

故郷の店

夏休みに帰省したときのこと。
普段は駅からバスで実家まで行くのだが、今回は早く着いたのでぶらぶらと歩いて帰ることにした。
多分一時間以上かかるが、途中で休憩しながらならそれも楽しいだろうと。

今の実家はぼくが上京してから引っ越してるので、幼い頃に育った街ではない。
駅から歩いて帰ると、昔住んでた地域を通れる。
それが目的だった。

30分ほど歩いたところで、子供の頃によく遊んだあたりに近づいてきた。
大人になってから来ると、道も建物もやけに小さく感じる。

商店街を通るとき、ある喫茶店が目に付いた。
子供の頃は、よくここで親が買い物を終えるのを待っていた。
オレンジジュース飲みながら。
おばちゃんが一人でやってる店で、お客さんは決して多くなかった。
一人でおとなしく親を待ってると、おばちゃんがいろいろお話を聞かせてくれたのを覚えている。

小学生くらいになって親の買い物について行かなくなってからは、このお店に入ったことはなかった。
20年ぶりくらいか。
ここで休憩してみることにした。

やっぱり地方のちっぽけな古い喫茶店。
決してこぎれいな感じではなく、むしろ薄暗く人気もなかった。
窓はあるが、灯りが入る程度で外は見えないガラスだった。

中には変わらずおばちゃんがひとり。
記憶にある顔より多少老けているが、子供の頃に相手してくれたあのおばちゃんだった。
相変わらず優しそうな感じで、コーヒーを出しながら軽くおしゃべりしてくれた。
さすがに覚えてないだろうから、子供の頃のことは話さなかった。

精算に二千円札を渡すと、おばちゃんは不思議そうにお札を眺めていた。
こんなのは見たことないという。
田舎の実態に驚きながらも説明すると、おばちゃんは納得してくれたが受け取らない。
お釣りがないから、お代はいらないとか言い出した。

じゃあちょっと両替してくるから、と言って店を出た。
逃げたと思われたくないので、旅行カバンを店に置いて。
コンビニで小さな買い物をしてお札を崩し、また喫茶店へ戻る。

店には誰もいなかった
ものすごいホコリと蜘蛛の巣に覆われていた。
決して綺麗ではない店だったが、ここまでじゃなかった。
カウンターもレジもホコリまみれだった。

テーブル席には自分のカバンが置いてあった。
そして、座ってたところだけホコリが落ちていた。
慌てて自分のズボンを見ると、お尻が真っ白になっていた。

テーブルにはコーヒーカップが。
少量の飲み残しがあった。
まだ乾ききっていない。

狐に化かされるというのはこういうことだろうか。
わけも分からずカバンを持って外に出た。
ちょうど目の前に、さっきのコンビニの主人がいた。

空き家だった店の跡に入って行ったので、不思議に思って様子を見に来たという。
店はおばちゃんが一人でやっていたが、四年前に亡くなったのだそうだ。
亡くなる前から店はやめていたから、五年は人が入ってないはずだと。

ご主人に店を見せようとドアを押したが、もう開かなかった。
たった今出てきたはずなのに、鍵がかかっていた。

二人で首をひねった。
どうして僕はこの店に入れたんだろう。
確かにコーヒーを飲んだのに。
が、考えても分かるわけもなかった。

子供の頃によく来ていたこと。
覚えているか聞いてみれば良かった。
多分覚えていてくれたんじゃないのかな。
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2004年08月30日

消える乗客

タクシー乗務員の仲間内で、危険な場所の噂がありました。
県内でも有名な、自殺の名所の橋にあるバス停です。
深夜にそのバス停付近から乗車する女性が、街に着くころにはいなくなっているというものです。
よくある話ですが、そんな体験談を年に1〜2回は伝え聞いていました。

ある晩にそのバス停を通りかかったとき、手をあげている3人組を見つけました。
夜の橋では、人影を見るだけでも果たして幽霊かと緊張するものです。
しかしその夜の乗客は、幽霊とはほど遠い明るい若者でした。

肝試し気分でやって来たものの、暗くてよく見えないし思ったより面白くないから帰ることにしたそうです。
しかし、道ばたにおいたバイクが無くなっており、しかたなくタクシーで帰ることにしたと言います。
男性は夜が明けたら警察に行って盗難届を出すとか言っています。
これが霊現象かもね。と女性は軽口を言っています。

わたしは脂汗を流していました。
彼らはバイクに乗って橋まで来たと言っています。
確かに、ヘルメットらしきものを持っていたような気がします。
カップルはバイクの処置についてずっと話し合っています。

しかし、彼らを乗せたとき、わたしは3人乗るのを確認しています
その3人目の声は一度も聞こえてきません。

わたしは必死で落ち着くように言い聞かせながら車を走らせました。
明るい町中についたときは本当にほっとしました。
目的のマンションに着いて、運賃を告げながら振り向きました。

車内には、女性が一人だけ。
しかも、寝ていました。
話しても怖がらせるだけだと思い、車内であったことは話しませんでした。
何事もなく女性は運賃を払い、帰っていきました。

その後は何も変わったこともなく、翌朝仕事を終えて帰宅する途中のこと。
自宅へ帰る途中であの橋を渡らなくてはなりません。
橋の手前のあのバス停そばで、早朝から若者が数名集まっていました。
道ばたにある破損したバイクへ花を捧げ、手を合わせていました。
posted by 黒鳥 at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 011〜020 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月24日

そのとき訪れたもの

子供の頃、ひいばあちゃんが入院した。
何の病気か知らなかったが、相当な高齢だったので危ない状態だったらしい。

じいちゃんと両親が病院に付き添っていた。
まだ小さかったぼくは家に残された。
ひいじいちゃんも一緒だった。

ひいじいちゃんは痴呆が進んでいて、事態が分かってないようだった。
そんなひいじいちゃんとぼくだけを残すわけにいかなかったのだろう。
ばあちゃんも家に残っていた。

ばあちゃんはずっと病院や親戚に電話をかけっぱなしだった。
ひいばあちゃんのことは心配だったが、ぼくはぼんやりとすることもなくドリフを見ていた。
ひいじいちゃんは自分の部屋で寝たきりだった。

そんなひいじいちゃんの部屋から、ガラスが割れる音と大きな声が聞こえてきた。
ぼくはびっくりしてばあちゃんを呼びに行き、ばあちゃんは慌てて電話を切って部屋へ向かった。

部屋では、ひいじいちゃんが大きな声で泣いていた。吠えるようだった。
いつも小さな声でぶつぶつ言ってる姿しか覚えてなかったが、そのときは初めて聞く大きな声だった。
部屋は古い木枠の窓があった。
今時の窓ガラスと違い、小さくて薄いガラスが何枚も張ってあるタイプだった。
その窓ガラスが全部割れていた。

ばあちゃんがひいじいちゃんに何か話しかけてる間に居間で電話が鳴った。
ばあちゃんの手が離せないので僕が出た。
電話は父さんからで、今ひいばあちゃんが亡くなったという知らせだった。

家で起こっていることを話したら、
「じいちゃんには、ばあちゃんが亡くなったことが分かったんだろうな」と言っていた。
あとで話を聞いた人も、そんな感想を口々に言っていた。
悲しくて動転して窓ガラスを割って暴れたんだろうと。
それからちょうど一週間後、ひいじいちゃんも静かに亡くなった。

ひいばあちゃんが亡くなったことをひいじいちゃんがその時知ったのかどうか。
それは今となってはもう分からない。
ただ、気になることがあった。

あのとき、ひいじいちゃんの声と物音を聞いたのはぼくだった。
はっきり聞こえたので間違いない。
ガラスが割れる音は一度だけだった。
たくさんの窓ガラスが全部割れていたのに。

窓ガラスを割ったのはひいじいちゃんじゃなかったと思う。
一度に全部のガラスを割った何かがあったんだと思う。
ひいばあちゃんの霊が来たんだとしたら、そんなことをするだろうか。
もっと悪い何かがやって来たんじゃないだろうか。
もう確かめようがないが、そんな気がしている。
posted by 黒鳥 at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 011〜020 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月18日

声を聞けて良かった

ある日の夜、いきなり見知らぬアドレスから携帯にメールが届いた。
「青木くん、ひさしぶり。元気にやってますか?」
差出人は携帯ではなく普通の有名なプロバイダのアドレスだった。
 
とりあえず返事を出してみた。
「誰?知ってる人?」
「知っててくれてるといいな」
「だから、誰?」
「そのうち思い出してくれるかな?
 ちょっと疲れちゃったから、また今度」
そんな一方的なメールのあとは、こちらから送っても返ってくることはなかった。
 
二日後の夜に、またメールが来た。
「この間は急にごめんね。今は何してるの?」
名を聞いても答えないので、適当な話題を返す。
得体の知れない相手なんて無視すれば良いのだが、特に悪さもしないのでなんとなくメール交換してしまっていた。
 
何度かやりとりしていくうちに、相手のパターンが分かってきた。
メールが来るのは夜の6時から8時くらいの間。
2〓3日おきにやってくる。
ちゃんと聞いたことはないが、女の子のようだった。
割と若い人らしく、アイドルや俳優に詳しかった。
そして、僕のこともよく知っていた。
小学校や中学校のこと、高校までずっとやっているサッカーのこと。
テストの成績がどうだったとか、大会の成績がどうだったとか。
 
友達に話すと、たいていは不思議がっていた。
俺だったら、そんなやつとメール交換なんてしないよ。気持ち悪い。
確かに、自分も最初は気持ち悪かった。
だけど、次第に慣れてきて、逆になんでも話せるような気がしていた。
悪い人じゃないようだったし。
身近にいる誰かだろうから、話題には気を付けるようにしていたけど。
 
そんなやりとりが一ヶ月くらい続いた頃、試しに聞いてみた。
「たまには電話で話さない?」
でも、あっさり断られた。
「今は無理なの。ごめんね」
 
そんな彼女から、いつもと違う夜中にメールが来た。
土曜の夜11時過ぎだった。
「話したい。電話して下さい。」そして、携帯の電話番号。
不意のメールに喜んで僕は電話をかけた。
 
呼び出し音が鳴って、すぐに出た。
「もしもし?青木です」
しかし、向こうは無言だった。
「もしもし?もしもーし」
無言。
 
しばらくして、電話の向こうがざわめくのが聞こえた。
そして、誰かが泣いてるのが聞こえてきた。
泣き叫ぶ女性の声が遠くに聞こえる。
ある光景が頭に浮かんだ。
テレビドラマで見かける光景だった。
 
僕は電話を切ることも出来ず、ただただ聞き耳を立てていた。
少したって、声が聞こえてきた。
大人の男の人だった。
「青木くん。突然すみませんでした。前島カナの父です」
 
前島カナは中学の同級生だった子だ。
身体が弱くて学校を休みがちで、出席日数ギリギリで中学を卒業していた。
それだけしか覚えていない。
高校は別々になったが、その後さらに体調を悪くして高校にはほとんど行ってないと聞いていた。
 
その前島カナのお父さんに呼ばれて、翌日彼女の家に行った。
そして、ご両親からこれまでのことを全部聞いた。
前島カナはこの2年ずっと入院生活だったこと。
病室では許可された時間だけインターネットしていたこと。
それ以外はたまの散歩の他はテレビばかり見ていたこと。
中学の頃に片思いだった男子に、名前を隠してメールを送っていたこと。
それが、僕だった。
 
とっくに自分は忘れられている。
そう思って、名前を言い出せなかったらしい。
そして昨日の夜、様態が急変して切迫した最中に、無理を言ってメールを送ってきたらしい。
父親の携帯を耳に当てた前島カナは、僕の声を聞いて、そして亡くなった。
 
高校に入ってすぐに入院したせいで、友達もできずにカナは寂しい思いをしていた。
青木君がメールの相手をしてくれたおかげで、ここ最近はとても楽しそうだった。
お父さんはそんな風に僕に感謝していた。
 
だけど、ずっと入院していた前島カナはどうやって僕のメールアドレスを知ったんだろう。
それ以外にも、僕の日頃のことをよく知っていた。
うちの高校に前島カナの友達がいるのかも知れない。
 
その疑問は、自宅に戻ってしばらくしてから解決した。
いや、解決と言えるかどうか。
メールを着信したのだ。
「最期に声を聞けて良かった。覚えていてくれてありがとう。」
前島カナだった
不思議な子だったんだ。
僕はそれ以上考えるのをやめた。
posted by 黒鳥 at 02:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 011〜020 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月12日

警笛を鳴らす理由

地方紙の読者投稿欄に、こんな感じの投書がありました。
 ○○の陸橋そばに住んでいるものです。
 陸橋の下を通る電車が、大きく警笛を鳴らすので迷惑しています。
 夜中でも大きな音をたてるので、安眠を妨害されています。
 どうして陸橋の下で警笛を鳴らすのでしょうか。
 夜だけでもやめられないのでしょうか。
こんな感じだったと思います。

それは、ぼくの家のすぐそばの陸橋でした。
電車が通る音も聞こえますが、警笛の音は本当にはっきり聞こえて確かに夜は迷惑でした。
終電が終わった真夜中でも、貨物列車が通ることがあります。
それも大きな警笛を鳴らして通ることが多いです。

投書のあと、鉄道会社の回答が新聞に小さく掲載されました。
 陸橋の下を通るときに警笛を鳴らすというルールは無い。
 運転士が自発でやってたことなので、特に夜中は使用を制限するように通達した。
 ただし、危険を回避する場合には通常通り使用する。
といった内容でした。
が、その後もそれまでどおりに警笛は鳴り続けていました。

投書と回答があったのは、ぼくが高校生3年の頃でした。
その後すぐにぼくは進学して就職し、東京に出ました。
そして数年後に同窓会がありました。
久々に会った同級生の中に、その鉄道会社に就職した仲間がいました。
そいつがちょっとした怪談話を聞かせてくれました。

 自分が運転する路線で、幽霊が現れる場所がある。
 陸橋の下に白い人影が見えて、慌てて警笛を鳴らすと消える。

詳しく聞いてみると、やはりうちの近所のあの陸橋でした。
線路に人が見えたら鳴らすのが当たり前でしょう。
投書があっても警笛が減らなかったのはそう言うわけでした。
ただ、警笛を鳴らさないようにがんばった運転士もいたそうです。

人影が見えた。けど、いつもの消える人だと思ったので警笛を鳴らさなかった。
その時に限って線路には本物の人間がいた

家に帰ってから親に聞きました。
ぼくが進学してすぐ、本当にそこの陸橋下で人が跳ねられて死んだそうです。

今でもそこの陸橋では、電車が警笛を鳴らしながら通っています。
posted by 黒鳥 at 01:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 011〜020 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月05日

揺れるだけだったブランコ

近所の公園に、地元では有名な怪奇スポットがある。
ブランコがひとりでに揺れるという、よくあるやつだ。
二つあるブランコのうち一つが、昼でも夜でも揺れる。
自分も見たことがある。
片方は静止してるか風に揺れる程度なのに、明らかにもう片方は大きく揺れる。

あんまりに目撃が多いので、一度雑誌が取材に来たことがある。
記事によると、確かに記者の目の前でブランコは揺れたが、心霊現象ではないという結論だった。
近くの高速道路の振動と周波数が一致してどうとかいう、物理的に説明が付くということだった。

しかし、自分が見たときには明らかに誰かが立ちこぎしてそうなくらいの勢いだった。
あれが揺れの伝動とは思えなかった。
雑誌では否定されたが、やはり地元住民は気味が悪いらしく、そのブランコで子供が遊んでる姿は見かけなかった。

そんなある夜、珍しくそのブランコに腰掛けてる女の子がいた。
少し離れたところで、花火をしている家族がいる。
ブランコの子と花火の家族は連れなのかと思ったが、どうもそうではないらしい。
気になってしばらく見ていたが、花火をしている親と子供の4人とも、誰もブランコのほうを見もしない。

引っ越してきたばかりか何かで、ブランコの話を知らない子なんだろう。
そう思ってその場を離れた。

夜中にビールを買いに外に出た。
その子はまだブランコで遊んでいた。
さっきは座ってるだけだったが、今は普通にこいでいる。
キシキシと音が鳴っていた。

「また揺れてるね」
後ろから声をかけられて驚いた。
いつも帰りが遅い、隣の家のおじさんだった。

「あんまり頻繁なんで、もう怖くもないね」
と言い、おじさんは家に入っていった。

おじさんには、ブランコがひとりでに揺れてるように見えたらしい。

posted by 黒鳥 at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 011〜020 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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